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私は人間の目が好き。 色も形も違ってて、同じ物は存在しない『宝石』だと思う。 純粋な瞳は闇の中でも光を放つだろうし、昏い瞳でもそれはきっと色々経験してきて重ねられた綺麗な黒だし、何かに迷っている人も今は色んな色が混ざりあっててもいつか自分の色になると思うから。
美しいものとは何だろう。今考えてみて浮かんだのは他人のために流す涙です。自分のためにはいくらでも涙を流せると思いますが他人のために泣くことはなかなか難しいんじゃないでしょうか。そこには深い愛があると思います。
今を生きていること。 忘れたい過去と希望の未来を繋ぐ時の境界線の上で、不恰好でも明日に繋ぐ為に、一歩ずつ進む今この瞬間。
美しいもの、記憶を深く辿りました。やり残した事は沢山あるしまだ死ぬとか信じてない、けどもし無理だったらその時は仕方ないけど受け入れるしかない。でも私はしぶといから今と違う形でも生きてやる。最期に臓器提供した友達を思い出しました。
自分が美しいと思うこと。 それは仕事の後に仲間が言ってくれる、お疲れ様。 楽しく遊んだ後、家に帰る時に友達が言ってくれる、また明日。 訪問してくださったお客様が帰る時に言ってくれる、次もよろしくお願いします。 つまり、人との絆と言葉です。
この世に生を受け『生きている』だけでも充分に美しいと思う。各々の生き方があり、その人自身があるような気がして。
愛犬の瞳の色。人の顔色気にして生きてる人間だから、人の感情に敏感で嫌な気持ちになることも多いんだけど、愛犬というか動物の瞳って曇りが無くて純粋で一生懸命で、自分にはないものだから羨ましいと同時に美しいなって思う。
懐かしさ、色が調和すること、ときめき、私が好きな人、川の水が流れること、きれいさ、感情、容赦、生命。雲、恋をすること、心を交わすこと、友情、一緒にいということ、真実、お祝いの言葉と慰めの言葉。
先日映画を見ていて、夢を叶えようと努力する人の姿は美しいと思いました。結果、自然とそんな人の周りには人が集まってくるのだと思います。私もそんな、美しい人になりたい。
自分の好きなもの。誰かにどう評価されるか、どう思われるかを気にしないで本当に好きになったものは、私にとって美しいです。
色合いに美しさを感じます。 きれいな景色、絵の具の色、その人のもつ色なんかが交じって引き立て合うって美しいなと思うのです。
美しさには色々なものがあって、誰かを救い続けるその歌とそれを歌う歌声は、まさにその言葉がピッタリだと思う。誰かの力になりたいと思うことや誰かのために歌うことは美しいことだと思います。
どんなものであれ美しさっていうものは心に響くものだと思う。 どんな感情でも、どんな景色でもどんな思い出も、残って積み重なっているものがあるのは美しいと思うのです。
言葉だと思う。言葉ひとつで傷ついたりするけど、言葉ひとつで救われることもあるから。残酷で美しいってやつだとおもう。
何年経っても色褪せないもの。心を尽くした時間とその景色はいつまでも鮮やかで、美しい。
好きなものを素直に「好き」と、 一緒に居たい人と「一緒にいよう」と、偶然見上げた空に浮かぶ月を見て思ったことを、心が揺れるままに、言葉に、瞳に、宿すことができたらきっと みんなが生きやすく、世界ももう少し美しくなるんじゃないかと思うんです。
気付かれない優しさ、春の匂い、強く在ろうともがく人、今はもう忘れ去られてしまった悩み、苦しみ、喜び 小さな世界のパーツひとつひとつ。
「人の幸せを願える人」 だと思う。人の幸せを願える人は見てて本当に素敵で美しいと思います。
二度と取り戻せない、これから先掴むこともない、 それでも「幸せだった」と、確かに感じられる大切な時間たち。
美しいものとは。 人間、動物、植物といった種に関わらず、懸命にその生を全うしようとする姿。愛猫を病気で見送ること幾たび、命の燃え尽きる瞬間まで彼らのその姿は美しい。
「素」。 飾らないもの。 ありのままの。 事象によって色付くもの。 自分が自分で居られる場所。 陰翳。影。
「手」です あらゆるものを生み出す手 職人さんの手、音を奏でる手、文字を刻む手… 生まれたての赤ちゃんの手から、しわしわのお年寄りの手になるまで、その人の人生を物語ってくれる手。
夢に向かって進んでいく姿。 ひとつの目標のために努力できる人は美しいと思う。自分は寄り道が多いけれど、最後には笑えるように、努力できる人になりたい。
人を思いやる心。気遣う心。自己犠牲はいき過ぎると自分に毒だが、用法容量さえ判れば心の栄養にもなり得ると思う。持って生まれた容姿などでは決してなく、内面から滲み出るもの、立ち居振る舞い、言葉遣いで美しい印象を受けることがある。美しさは、ほんの少しでも人を思う心。
自分の考えや意志をもち、否定されようとも主張し続ける勇気ある姿を美しいと思います。
その美しさに触れるために、 その美しさを讃えるために、 その美しさを愛するために、 自身の持てる言葉を、時間を、技術を、感情を、思考を、尽くさずにはいられない。 美しさとは、そうやって人を揺さぶり、動かすもの。
私には才能がないからそれを持つ人たちを素直に受け入れられず、羨望や嫉妬がついてまわる。でも時々それを遥かに凌駕し私の心を引きつける瞬間に出会う。それが私にとっての「踊り」だけれど、それに限らず何であっても、そのときに溢れる感情が私にとっての美しさなのかな、と。
私は、想像をできません。 アパンタシアという病気のためです。 未来を描くのが私ができる唯一の想像です。 それで想像ということは、美しいことだと思います。 上北さんの歌を聞くときは暖かいと感じて、想像というのは、このような感覚かといつも思います。
私が考える美しい物は、周りの人達の笑顔です。彼らはいつも私の力になってくれます。その人達の笑顔を見れば、私はいつも幸せです。だから、今の私が考える一番美しい物は、大切な人達の笑顔です。
外見にとらわれず内面も磨くことができる。見えないものに対して恐怖や不安を与えるのではなく、それに対して理解しようとする心。
人が楽しんでる、楽しもうとしてる姿。 将来的にはイベント等の裏方として仕事がしたい。来たら笑顔になる人が多いはず、それを見れたら幸せだ…。
ありのままを嫌わないこと。 ありのままを受け入れること。 受け入れるまでには壁があると思うのです。だから、その壁を乗り越える過程で出会った人、物、それら全てが美しい。
たとえばヒトならそれは誇りではないか。理想を求め現実にぶつかり砕けた破片がつもり積もってできたもの。それには長い時間を有し自分を肯定した先に見えるもの。強さも弱さも知っている己自身が誇れるものであり、美しいのだと思う。
人が輝いている瞬間。 好きなもの、夢中になれるもの、一生懸命になれるものがあるという事は素晴らしいです。
自分が好き、自分が憎いなどの自分に対して思う感情が私にとっては美しいと思います。 私は自分が憎くて仕方ないのですがそんな自分の感情だって宝石の如く輝いているように感じます。 そんな感情も大事にしたいと思います。
美しさ=儚さ 弱い、脆い、小さな、揺れる、憂い、消えそう、沈む、崩れる、淡い、寂しい、 いけないことではないと思いたい。そのような物、現象、思いに儚さを感じる。儚いと同時に美しく感じる。だから、美しさ=儚さです。